プライベートのことを公表するかどうかは長い間躊躇してきたがこれからの私の人生に大きな転換となるので公表をすることを決意しました。4月下旬に南米から福岡に行き、元嫁と離婚しました。
父親を糖尿病で亡くした私が我が子だけは絶対肥満にしない、健康に育てると思っていたが結婚後皮肉にも子供の肥満の事で13年間悩まされきました。食べさせるのは加工食品、飲ませるのはコーラなどのジュース類、牛乳など、菓子類は常に子供の手に届くところに置いていました。どれだけ説教、願いをしても改めようとせず、肥満がエスカレートするばかりでした。
2011年の11月にわずか十歳の我が子のウエストが私のウエストを既に10cmも超えていました。我慢の限界を超え、その後2年半面会することを拒否してきました。4月27日に南米から福岡に行き、2年半振りに子供にあった時鳥肌が止まらなかったです。頭の中によぎったのはアメリカ、南米でよく見る加工食品で育てられた巨大鶏、13歳+3ヶ月の子がなんと178cm、90キロの私が履ける水着が履けない肥満度、腰が曲がり、完全におじさん体型になっていました。
子供に将来好きな大学に行かせてあげたいと店をやりながら建築現場の荷揚げの仕事を雨の日も雪の日も一生懸命やっていました。翻訳、通訳の仕事もやったり、世界のどこの大学にも出せるほどのお金を貯めていました。お酒、タバコ、買い物、ギャンブルなど一切やらない私は旅のお金以外は全部我が子のために貯蓄をしていました。成人式の時にサプライズで渡すつもりでした。自分になにか遭ったら嫁と子供が困るだろうと高額な生命保険までかけていました。
しかし元嫁から聞かされる言葉は「子供の行事ごとに参加しない」「子供を見捨てた」「自分を利用した」などという話ばかりでした。
6月初期に北京で四年間一人暮らしをする甥子に会いました。「高校2年生の時に肥満が原因で虐めを受け、ひたすら痩せる努力をした結果、学業に影響が出て進学できなかった」という話を涙ながらに聞かされ、「絶対、絶対に従兄弟を肥満から守らないといけない」と訴えられた。
飴と鞭の方法を全部使い尽くした私は子供が同じ運命を辿らないことをひたすら祈るしか方法がありません。子供に父親の生き方を参考に始めた このブログをこれで中止します。
長い間、支えて下さり、見守って下さっ方々、本当にありがとうございました。
スーホ
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